過去は変わる



相対性理論(?)によれば、過去には行けないらしい。
従って、過去は変えられないはずだ。
だが最近、これまで歴史で習ってきたことが覆されていると聞く。

農耕社会は弥生時代からであって、縄文時代は狩猟採集社会で
あったと習ってきたが、どうもそうでないらしい。
鎌倉幕府の成立も、最近の教科書では1192年ではなく、
1185年に変わっているらしい。(イイクニじゃないんだ!)
大化の改新は645年じゃなくて646年だとか。
実際は過去の新たな発見ではあるが、歴史の知識が染みついた
我々には、過去が変わったと思えなくもない。

個人の歴史(自分史)も変わる。
というより、こちらは記憶が曖昧ということで説明がつく。
時系列が曖昧になったり、伝聞や夢が自らの体験と記憶されたり、
複数の体験が結び付いてごちゃごちゃになったりと。
一方で、変えたい過去、はたまたやり直したい過去は山ほどある。
だがこれは残念ながらなかなか変わってくれない。

「変わるのは、歴史も地図も、常識も」

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