モラルが問われる利用する知恵

最近問題になっているフェイクニュース、
文字から画像へ、そして音声も加わる。
アメリカ大統領選挙のフェイク情報あたりから問題視され始め、
有名人のフェイク画像などが増え始め、
災害情報までもフェイクのターゲットになってきている。
もはや本物かフェイクかの見分けすら難しい。

このフェイク情報に大きな役割を果たしている(生成)AI技術、
こういう使われ方は予想できたのだろうか。
利用する側の知恵次第で際限がない。
創り手が予想もしない利用方法が日々増殖する。
創る知恵に対し、言わば利用する知恵だ。

情報インフラとサービス(利用技術)との関係は、
情報というモノの性質上、元々そういう関係にあると言える。
テキストも画像も動画も、デジタル情報である限り、
加工したり利用するのは誰でもできる時代だ。

これに通信インフラが媒介の役割を果たし、
情報通信インフラとして「情報」の「流通」が担保される。
こういう情報通信環境の中では利用方法は知恵比べ。
フェイクが蔓延する今の状況は必然だと言えそうだ。
要はどう利用するかのモラルの問題になってしまっている。

「困ったな、そもそも私にゃ、知恵がない」

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